ブラッとするには 丁度良い距離

by スタジオ亜空間

☆ 未来を探して 今日も何処かを ブラッとしています 平岡莉貴 ☆

ジャングルと街と


 太田真一は夢を見ていた。
           
 周りはジャングルに覆われている。
 人が通れるほどの道も、獣道すら、無い。
 身体を少し動かせば、巨大な密林の名も知らない木の枝に、押さえつけられる。
 真一はしゃがみ込んでいた。足に痛みを少し感じる。耐えられない程ではないが、気にすれば疼きがひどくなる。
 突然雷鳴が響いた。
 同時に、辺りの木の葉が揺れた。
 衝撃も伝わってきた。小さな衝撃が連続してやってきた。
 小さな悪魔が、真一の周りを襲った。
 その悪魔の一団の一部が真一を襲った。
 肩から斜めに下腹部に向かって、熱い衝撃が走った。
           
 夢は、いつもそこで終わる。そして必ず汗をかいて目が覚めた。
           
「雷の音に弱いんですよね」
           
太田真一。58歳。ジャーナリスト。
           
「3年前、久しぶりにベトナムに行きました。ホー・チ・ミン市に行ったのですが、サイゴンと呼ばれていた頃とは随分違って、寂れたなあ、って感じましたね。ほとんどの食堂が無くなっていましたが、よく行った、いわゆる大衆食堂が残っていました。味は、前と変わらず良かったですね。もっとも、食べているときの気分は、今回は当時のように緊張していませんでしたから、ゆっくり味わう余裕がありました」
           
 太田真一は私(平岡莉貴)よりちょうど一回り年上の大先輩に当たる。私が大学を出て、ちょうどジャーナリストという職業を、ホンの少し意識し始めた頃、彼はベトナムの最前線にいた。
 アメリカ軍に従軍し、従軍記者としてカメラを担いで前線を転戦していたのだ。
           
「軽機関銃の音ってわかります? よく乾いた音って表現しているけれど、20数丁纏めて発射すれば、すぐ近くで雷が落ちた時の、あのバリバリバリという音に近いんです。幾度も聞きましたね。それ以来、寝ているときに雷が近くで落ちると必ず夢を見ます。ジャングルに囲まれた動けない状態で、軽機関銃に連射される夢をね」
「よほど恐怖だったんでしょうね」
「恐怖さ。これ以上の恐怖はなかった」
「でも、帰らなかったんでしょう?」
「帰れなかった。このまま帰って、何も書けずに要ることの方が、別の意味で、恐怖だったんだ」
「ジャーナリスト魂ってやつですか?」
「そんなかっこいいモンじゃないよ .....」
           
 軍隊に付いて、時々街に帰って休息を取る。街は何事もないように平静そのものだった。
 今、すぐ近くのジャングルの中で、大量殺戮が起きていることなどとても感じさせない。
 不思議な気分だ。まるで意識の中で、まったく次元の違う世界を行き来しているようだった。とても正常の神経では居られない。
 そんな世界に、彼は20年後再び戻った。
           
「今回のベトナム行きはね。今の自分を確認するために行ったんだ」
           
 彼はトラウマを抱えていた。落雷の音がそうだ。同時にあの戦いは何だったのだろうか? という疑問にも取り憑かれていた。
 再びベトナムに行っても、その答えはでないだろう。事実でなかった。
 が、ベトナムに行ったことで、少しは心が落ち着いたという。
           
「ホー・チ・ミン市は豊かだったよ。心がね。社会主義だとか民主主義だとか、いろいろ有るけれど、そんなの関係ないって感じたなあ。あれほど心の平和を感じる街に出会ったことはない。そう思うよ」
「それはかつてのベトナムを知っているからでしょうか?」
「そうかも知れんな。始めて行った人間には、そんな感情は沸かないかも知れない」
「君もフィリピンで同じ様な感覚を持ったのじゃ無いのか?」
「ええ。もっとも逆ですが。最初のフィリピンは広告代理店の仕事だったので、フィリピンの綺麗な所ばかりを眺めました。6回目で、始めてストリートチルドレンとかスラムに接して、同時に本当のフィリピンの心に触れたようです」
「その感覚のギャップが大事だねえ。どちらにしても両方の面を見る必要がある」
「そう思います」
「戦争中であっても、前線と後方では随分雰囲気は違う。街に戻ると、本当に戦争を忘れてしまうんだ。でも、兵隊は違ったと思う。休息には違いないが、心の奥底ではいつも戦いが残っている。自分との戦いがね。正義ってなんだ? という問いと共にね」
           
 物事に対しては、必ずその両面を見なければならない。かといって、両方別々の物という感覚に捕らわれてはいけない。どこかにつながりがあり、そこに自分自身のコダワリを持ち続ける必要がある。
 彼は最後に、そう力説した。
 この言葉は、きっと頼り無い後輩の私に向けられた言葉だったんだろう。
           


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