ブラッとするには 丁度良い距離

by スタジオ亜空間

☆ 未来を探して 今日も何処かを ブラッとしています 平岡莉貴 ☆

彼が演歌を聴く理由


 乗客は一様に長旅の疲れを見せていた。
 大阪を出て約三時間。静岡辺りだろうか。わずかに、バスの冷え切った窓のカーテンを開けてみる。冷たい秋雨が窓を打つ。それ以外は暗闇だけが支配している世界だ。
 眠れない。
 富岡英次は足下に置いたバッグの中から、ウオークマンを取り出した。出掛けに何気なく放り込んだ数本のカセットから、無造作に一本取り出し、セットする。
 シートに浅く掛け、ウエスタンハットを顔の上に乗せる。
           
           
 肩に冷たい 小雨が重い
 思い切れない 未練が重い
           
           
 なに! 藤圭子じゃないか。
 いったい誰が入れたんだ。
 しかし、妙に心に響く。気持ちが重く沈んで行く。が、なぜか引きつけられる。繰り返し聞いてしまった。
 あれほど嫌いな演歌に、なぜ? 自問するが、答えは返ってこない。
 英次が初めて演歌を真剣に聞いてしまった時だ、と言う。もう十年も前になる。当時の心の持ち様が、演歌にぴったり合ったのだろうか? なぜあの時、ずっしりと心に響いたのか、今ではわからない。しかし、間違いなく心が震えた、と英次は回想する。
           
 【ド演歌】と呼ばれている種類の演歌が、ある。ほとんどが男性歌手の歌っているものだが、やくざとか、あるいは男の生き様を歌ったものだ。これだけは、どうも肌に合わない。聞きたくもない。
 鳥肌が立つ。そんなときがある。決して嫌いな物に出会ったときの、あの『鳥肌が立つ』ではない。例えば、理想の、素敵な女性に突然出会い、声をかけられたとき。そんなときに鳥肌が立つときがある。それと同じだ。
 酒場の女。夜の女。そして、男を追って行く女。
 英次が『鳥肌が立つ』ときの演歌の主人公だ。
 長く水商売に浸ってきたからだろうか? そんな女をよく見てきたからだろうか? 少し誇張してはいるが、身近に感じてしまう。

 富岡英次は東京に憧れていた。大都会。東京には、希望が有った。ダンサーになれるという希望が。
 旅立ちの前、一抹の不安もあった。
 東京での生活の基盤は、まだ決まっていない。ただ友人の安アパートが、あった。それだけが、少し不安を和らげてくれる。
 大阪には絶望が、あった。
 いくら踊っても、いくら踊っても、ただ、それだけだった。
 憂鬱が支配し始めた。英次は夜行バスに乗った。
           
           
 タバコの煙を目で追いながら
 想いに耽る 人がいる
 何をそんなに 想いつめ
 憂鬱ばかりを 背負い込むのか
               
 ふと、そんなフレーズが頭をかすめた。
 音楽関係の雑誌に載っていた。作者の名前は覚えていない。
 タイトルは確か「夢追い人」という。
 まるで英次のことを歌っているような、そんな気がした。
 初めて音楽の中の「言葉」に接した。
 ロックばかりを聞いていると。どうしてもリズムの美しさばかりが目立つ。魂を揺さぶる「言葉」の魅力。絶望を感じ、不安を抱いて東京に向かうバスの乗客には、あまりにも強烈すぎた。
 その衝撃が、それから四年後、英次を再び大阪に引き戻すことになるとは、夢にも思わなかった。
           
 東京で働きながら、ダンスのレッスンに励んだ。昼間、レッスン場に通い、夜はディスコでアルバイト。時々踊る。とても充実していた。が、体力の限界も見えてきた。
           
 その夜、英次の足はもつれた。
 もつれて、思いっきり前に倒れた。
 倒れて、額から血を流した。
 額からだった。受け身が出来なかった。
           
 結核性関節炎。
 痛みに耐えかねて行った病院での診断結果だった。
 二ヶ月くらいの入院が必要と診断だった。
 もう踊れないのか? 不安がよぎった。
 医者は、大丈夫だとは言ってくれる。しかし、治った後のリハビリの出来によって、間接の動きが鈍ってしまう恐れがある。鈍ると言うより、元の感覚で動かせないと言った方が良い。
 普通の人間には全くわからないほどで、問題は無い。しかし、英次はダンサーだ。ダンサーにとっては大きな問題になる場合もある。
 その夜、久しぶりに演歌を聞いた。
 演歌を聞いて涙した。
 涙して、自分に問う。何のために、いま、踊っているのか? と。答えは、当然、出ない。
 ダンスでも、何とか食って行けるようになった。名前も、小さな集団の中でだが、売れてきた。
           
           
 黒地に白く染め抜いた
 つばさをひろげた 鴎の絵
 翔んで行きたい 行かれない
 私の心と 笑う人
 鴎という名の小さな酒場
 窓をあけたら海 北の海 海 海
      (阿久悠 作詞  鴎という名の酒場)
               
 故郷が恋しくなってきたのは言うまでもない。
 病院のベッドの中で、大阪に帰ろう、そう思った。
           
「未練は無い?」
「ダンスに? それとも東京に?」
「うむ。東京に」
「少しは有るかな。でも、大阪で踊っても同じことだと、思った」
「退院したらすぐに帰るのかな?」
「もしかして、その時、気が変わってまた東京に居るって、言うかもね」
           
「演歌を聞くことは、実は怖い。でも、つい心が平凡に流されそうになったとき、心に衝撃を与えるために、演歌を聞く」
           
 インタビューの終わりに、彼はそういって自分のウオークマンを貸してくれた。英次と同じ大阪から来たインタビューアーも、帰りたくなってしまった。病院の窓から見える紅葉した楓が、一瞬風に揺れた。
   

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