ブラッとするには 丁度良い距離

by スタジオ亜空間

☆ 未来を探して 今日も何処かを ブラッとしています 平岡莉貴 ☆

片腕の天使


 私の家系は芸術家が揃っている。
  すでに亡くなってしまったが、父親はマンドリンを弾いていた記憶が有る。母親は音楽ではなく書の段位を持っている。もちろん華道に茶道は言うまでもない。今も元気にちぎり絵等を友人たちと楽しんでいる。
  弟は大学時代、落語研究会で修行を積み、今は舞台俳優だ。
  で、私は・・・辛うじて写真にしがみ付いている。
  音楽はまるっきり駄目なのだが、父親の血をわずかながら継いでいるのか、音楽を聞くことは好きだ。
  その時の心理状態によって、聞きたい音楽は変わってくる。
  アンルイスを聞いていたかと思えば、突然シューベルトの歌曲を聞きたくなったりする。
  いずれにしても、気分良く聞いているときは「絵」が浮かんでくる。詞の内容に関係無く、自分自身が感じる「絵」が浮かんでくる。まるで鮮やかな写真のプリントの様に目の前に表れる。
  これは音楽を聞いている時だけでは無い。
  写真を撮っているときも、調子良く撮影が出来ている時は、出来上がったプリントがはっきりと脳裏に浮かんでいる。
  言い替えれば、ファインダーを覗いているときに、すでに出来上りをイメージ出来ているときは、いい写真が撮れている時なのだ。
  今回のフィリピン取材でも、幾度かそんな感覚があった。
  SCJ新フィリピンオフィスの開設セレモニーの間はただ事務的に重要箇所を押えて行く感覚で撮影していたが、食事の後にその感覚が訪れた。
  ファインダーを覗いている時ではない。
  しばし休息のとき、何気なく料理の前を離れ、一人階下に降りた。
  マンドリンを中心とした楽器演奏が始まっていた。
  食事の用意された屋上でも、上品なカルテットがメロディーを奏でていたが、その時には感じなかった、感覚が訪れた。
  マンドリンが中心だったからか? 父親のイメージが頭の隅から顔を出したのか?いや違う。別の感覚だった。衝撃と言ってもよかった。
  メロディーは稚拙だった。
  たどたどしく演奏されている。まだ完成されていない合奏だった。
  マンドリンのトレモロがわずかに音程を外れ、流れている。
  私はゆっくりと、その演奏されている部屋に入った。
  フィリピンの子供達の合奏だった。
  カメラを抱えたまま、暫く音楽に聞き入った。
  最高の撮影条件である、イメージが絵に変わる瞬間、先ほど感じた衝撃が再び脳裏を襲った。が、絵が表れない。すでにイメージが絵となっていい状況であるにも関わらず、何も浮かんで来ない。
  絵が浮かんでこないまま、ファインダーを覗いた。
  順にショットする。最後方に位置するベースを押える。ゆっくりと前に移動させる。
  ファインダーを覗いたまま身体を移動させ、ベストショットを捕らえる。いつものリズムだ。
  一番前にファインダーを向けたとき、一人の少女が入った。
  ただひとりマンドリンを抱えずに、小さな台の上に置いて弾いている少女がファインダーに捕らえられた。
  何故、マンドリンを抱き抱えないのだろう? 何故、彼女はマンドリンを台の上に置いて演奏しているのだろう?.....
  彼女は左の指で弦を押えることは出来なかった。腕に付けられた金属の筒で弦を押えることしか出来ない。彼女の左腕の肘から先は、存在していなかった。
  彼女の写真を十数枚撮ったが、出来上がったものは一枚も満足出来るものはない。
  イメージの絵よりも衝撃がそれを上回った。本来ならば、もっと冷静に事実を見つめ確実に絵にしなければならない状況だ。いや、それが私の仕事であるはずだ。
  写真家としてまだまだ未熟な自分を感じた。

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