ブラッとするには 丁度良い距離

by スタジオ亜空間

☆ 未来を探して 今日も何処かを ブラッとしています 平岡莉貴 ☆

ピクニックは楽しいな


 フィリピンの家庭料理と云えば、アドボをまず思い出す。
  日本で云えば、肉ジャガとでも云えるだろうか。
  肉ジャガよりもっと色んな材料が使われている。味付けは、日本のものと良く似ているので、日本人に向いた料理の一つだろう。
  さて、アエタ族の手料理とはいったいどの様なものだろうか? 私の口に合うのだろうか? 不味くても、残したら失礼だろうな。
  色んな想いが浮かぶ。
           
  「さあ、出発しましょう」
  「あのお、山の上まで歩くんですか?」
  「いえ。マイクロバスはこれ以上は無理なんですが、でも心配しないでください。水牛が居ますから」
  どうやらここから上は水牛に引かせた荷車に乗って行けるようだ。
  二頭の水牛に引かれた荷車に分乗した私達は、食堂に当てられた集会場に向かった。
  ガタン、ボン、ビョン。
  ビシッ、バリ。
  ピシッ。
  ここは、豊かな日本人が観光にやって来て、
  「わーい。めずらしい牛車だぞ。乗ってみようよ」
  と云ったノリで楽しめる、観光牛車を提供してくれる世界では、断じてない。
  断じてないが、水牛がめずらしい私たちにとっては、やはり観光客のノリで喜んでしまう場面でもあった。
  ゴット。(^^;)
  荷車が傾いて、止まった。
           
  1991年6月。突然大規模な噴火をした標高1753mのピナトゥボ山は、山頂を約25m削られていた。それまで見えていた山頂は、今では見えないと言う。削られた部分は粉々に飛び散り、想像以上の火山灰が周囲50キロ以上の村々に降り注いだ。
  ここアエタ族の避難集落パシィブルにも、もちろん火山灰の堆積がある。
  荷車の細い車輪は、10名の体重によって火山灰の中にめり込んでいた。
  「午前中に一度荷物を運び揚げたからね。二回目だから、水牛も疲れてるんだ。ちょっと抜け出せないな」
  「しかたがない。みんな降りて押そう」
  私を除く全員は、荷物のほとんどをバスの中に置いてある。
  水筒と、小さなコンパクトカメラ。少しの小物をデイパックに入れているだけだ。では、私はと云えば。すでに想像が付いていると思うが、一応書いておく。
  フィルムを使い分けなければならないため、バカ重いモータードライブ付きの一眼レフカメラ3台。カメラに付けたレンズ以外に交換レンズが3本。小型のストロボ。ネガカラーフィルム14本に、リバーサルカラーフィルム10本。モノクロフィルム50本。単3アルカリバッテリー20本。メンテナンス用工具ワンセット。そしてミネラルウオーター。
  熱帯の太陽は容赦無く照りつける。
  肺臓が強引に酸素を取り入れ、心臓が激しく体内に送り出す。
  私は暑さには充分強い体質だが、さすがに機材の重さは堪える。
  なんでこんな商売を選んだのか、情けなくなってきた。最も、軽い性格の私は集会場に付いた途端、カメラマンで良かったと思うのだが...。
           
  雑草の生命力は逞しい。
  火山灰に被われた土地に、すでに背丈程の雑草が生い茂っている。栄養豊かな土地ではなく、火山灰ばかりの土地なのに、その生命力には本当に驚かされる。
  30分も歩いただろうか? 背丈ほどの雑草が突然途切れた。
  遠くの山々が見渡せる。
  風が吹いた。
  都会に住む我々が、いくら強請っても感じる事が出来ない、風。
  ネイチャーフォトグラファーならば、きっとこの風を撮しとる事が出来ただろう。火山灰に追われ、この土地に逃れなければならなかったアエタの人々の心を、風を通して表現することが出来ただろう。
  ルポルタージュ派の私は、ルポルタージュ派なりに、風景を見なければならない。がこの時ほどネイチャー派のカメラマンを羨ましく思った事はない。
           
  歩き始めてから1時間は経ったのだろうか? 時間の感覚は無くなっていた。
  疲れていたからでは、ない。そう思う。神経がたかぶっているのが、わかる。
  ここまでたどり着く間に、シャッターチャンスはいくらでもあった。が、シャッターはほとんど切っていない。いや、切れないでいた。
  あまりにも雄大な、そして偉大な自然の前で我を失っていた。
           
  「着きましたよ。SCJの看板が見えるでしょう」
  しっかりした柱に屋根が取り付けてあるだけの、集会場があった。人なつっこい子供たちが集まってくる。手を引っ張ってくれる子もいる。やっと我に返って、カメラを向けた。5人、10人....。カメラの前に集まってくる。無邪気な瞳。生意気そうな顔。はにかんだような、表情。どれを取っても、自然だ。
  「どうぞ食べてください」
  子供に手を引かれて料理の前に行った。
  日本のものよりややパサパサしたご飯だ。皿の上にバナナの葉を乗せその上にご飯を盛る。そして大きな鍋から、アドボのような料理をかけて食べる。フィリピン式に手で食べる。
  アドボよりあっさりとしたシチューのような、料理だ。
  色んな野菜が入っている。野菜に付いてあまり知識が無いので、名前は解らない。エビが入っている。殻もそのまま煮込んである。ちょっと食べずらい。しかし、うまい。
  彼らが一生懸命私達の為に作ってくれた料理は、見事なまでに私を魅了した。
  心地よい風と、さわやかな人々の笑顔。それに愛情のこもった料理。肩に食い込んだ撮影機材は、今になって重さを消していた。
           
  ピナトゥボ山。
  その山を神と仰ぎ、文明から遠く離れた豊かな自然に囲まれ、焼き畑による農耕と狩猟を中心として生活していた。
  だが今、その神の山により生活を奪われ、文明と接することになった。
  これが神の意志なのか?。
  彼らに”新しい時代を築くように”との意志なのか?
  今日一日に接した彼らは、Tシャツを着、ピアスをした幼女も見た。
  私は、彼らが文明に毒されてしまったのだろうか? と考えてしまった。
           
  バスで山を降りる途中、彼らに物資を与える団体の姿を見た。
  困っている彼らに救援物資を与える事は誰にでも出きる。しかし、
  「物を与えるだけではダメなんです。物を与えれば、彼らはそれを当てにする。その結果、彼らはいつまでも自立出来ないのです」
  そう言った上田ディレクターの言葉が重く感じられた。
  彼らの意志を尊重し、一緒になって考え、行動し、そして自立の道を与える。
  私の目に映った、”毒された彼ら”は、物を与えられる事に馴れたしまったほんの一部の姿であり、SCJの考える本当の姿では無い事を悟った。
           
  私のフィルムに焼き付けられた映像は、果たして本当の”神の意志”を伝えているだろうか?
  帰国後プリントした中に、”雑草の間で花を摘む少女”とタイトルを付けたモノクロームの写真が、ある。彼女の姿を通して、”神の意志”を感じていただけるだろうか?
           

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